新美建

代表 森本 明博

【①出身地・出身校】

埼玉県さいたま市浦和区

埼玉県立羽生第一高等学校 1990年卒

【②資格】

宅地建物取引士、介護福祉士

【③勤務経歴】

身体障害者福祉施設(福祉専門学校非常勤講師含む)10年、不動産・ハウスメーカー20年

(ストーリー)

高校卒業後は就職ではなくアルバイトをしていました。

東京駅地下街のお土産屋さん、看板製作取付業など。

看板製作はいろんな工程があり様々な加工が必要でアクリル加工、アクリルやガラスに貼る切り文字シール、板金加工、金属溶接、金属研磨、塗装、電飾、電気配線など多岐にわたります。

看板取付は専門の親方がいてその助手的な仕事なのですが、ビルの袖看板などは屋上から縄梯子を下ろしての作業、道路脇の野立て看板では基礎用の穴を手掘りしたり、商業施設では日中作業が出来ないので夜間に作業をする、また一般の方が入れない場所で作業するなど退屈とは無縁の仕事でした。

ある水族館の夜間作業ではシーンと仄暗く静まり返った館内でシロイルカがうっすら光を浴びてゆったりと泳ぐ何とも言えない神秘的な光景を一人貸し切り状態で眺めることが出来たのもいい思い出です。

一度作業中の事故に遭遇したことがあります。

ビル袖看板の鉄骨枠を仮組みする際に人力6人で鉄骨を移動しようとなり、移動直前に気をつけろよと皆で注意をしあい、せぇーのと移動した時にベテラン作業員の一人が鉄骨と鉄骨の間に小指を挟んで切断してしまいました。先輩作業員達が対応をすぐさま行っていましたが、私は非常に恐ろしく感じてしばらく呆然と動けませんでした。忘れられません。

この時期に道具の使い方や作業のどこに注意しないとケガをするといった肝の部分が養われました。おかげで今まで作業中にケガをしたことが一度もありません。

また、この社会人成りたての頃の看板製作・取付の経験が趣味欄にも書きましたDIYの元にもなっていますし、今の自分の人格形成にも大きく影響しているなと常々感じています。

この仕事は面白く気に入っていたのですが、この当時の不況で周りの取引先や職人が廃業したり転職するのを目の当たりにし自分もアルバイトではなく就職しようという考えを持ち退職します。

身体障害者福祉施設へ

さて就職するのにどんな職種がいいのか考えていた時に脳裏に浮かんだのだ祖父の姿です。祖父は口数の少ない穏やかな人で、私が小さい頃は時々訪ねてきては私を床屋に連れて行ってくれました。その祖父が認知症を患い髭剃りなどが出来なくなり祖母が困っていましたので、今度は私が時々訪ねて祖父の髭を剃るようになっていました。

こうしたことがきっかけで福祉関係の仕事に就いてみようと思い身体障害者療護施設に就職する事となります。

身体障害者療護施設とは、事故や病気、先天性の疾患などで身体に障害がある人のうち、日常生活での常時介護が必要な方が生活する施設とされています。

主な業務は食事や入浴の介助、おむつ交換、レクリエーションなどとなりますが、生活全般の介助です。これをお読みくださっている皆様が朝起きてから夜寝るまでに行う事の全て、更に寝ている間も介助対象になります。パジャマから普段着への着替え、ベッドから車椅子への移乗、トイレ、歯磨きや整容、移動、就寝時体位変換などなど。

入所者の障害程度はまさに千差万別でお一人お一人が全く違います。また好み、癖、習慣、こだわりも全く違いますし、障害が産まれた時からなのか大人になってからの事故や病気によるものなのかで考え方や物事の捉え方が違うように思います。

障害者福祉施設では入所者様との一対一の対話の中で非常に多くの学びを頂きました。またどんなに考えても分からないこと理屈では推し量れないことがあるという事に気付かされました。

ご縁が有り福祉専門学校の非常勤講師も一年という短い期間でしたが経験させて頂きました。

不動産・住宅業界へ

19才の時に不動産業に勤めていた叔父から宅地建物取引主任者の資格を取りに学校に通うことにしたから一緒に行かないかと誘われ、アルバイトしながらでしたが資格を取るのもいいなと思い通うことにしました。

熊谷の日建学院でしたが、始めて教室に行ったときは周りが全て10才以上年上の方ばかりで同年代がおらず驚きました。ただそれが良かったのか勉強に集中でき、それまで学校では教わらない民法や建築基準法、宅建業法などの内容が面白くて勉強が全く苦にならず、そのまま一発で合格し資格を取得することが出来ました。

宅地建物取引士の資格は取得しましたがすぐに不動産・住宅業界に入ろうという思いにはならずアルバイトを続け上記の福祉業界に進み介護福祉士の資格も取得したのですが、ある時に宅地建物取引士の資格を活かしたいなと思うようになりました。収入を増やしたいという思いもありました。

そこで地元の不動産会社へ転職し賃貸専門の営業職として不動産業界で働くことになります。賃貸営業はお客様のご要望を聞き、多数の物件の中から一番ご要望に近いものを選び出しご紹介していく仕事です。ご要望を聞きながらお客様の生活スタイル朝早いのか遅いのか夜勤があるのか通勤は電車なのか車なのかなどを細かに聞いていきます。そうすると初めにお客様が要望としていたポイントよりも更に実は重要なポイントが他に出てくることがあるのでそういったことを確認しながら進めていく作業となりとても楽しい仕事でした。

続く

【④誕生日】

昭和46(1971)年7月28日 獅子座 亥年

【⑤趣味】

DIY、自転車、スポーツ観戦

DIYは予算が限られる中だと自分がやった方が安上がりなのと、自分でやるといくらでも時間を掛けられて好きなように作業が出来る、これがいいですね。

約7畳分のウッドデッキ、自宅南側のテラス部分に6m×3mのアクリル屋根や最近ですと道具や機材が増えたので庭に物置小屋を自作しました。

大変ですが作業していて楽しいのと、業者さんに頼むという発想の前にどういう大きさでどうやったら上手くいくか、材料に何を使うかと考えるのが面白くて自分でやらずにいられなくなってしまいます。

ちなみにウッドデッキと椅子・テーブルにはファインクリスタルウッドを施工しています。

DIY自作 約7畳のウッドデッキ
DIY自作 テラス屋根
DIY自作 物置

【⑥好きな本や音楽・映画など】

は昔から好きで子供のころは偉人伝記エジソン・キュリー夫人・野口英世などから学校図書館にあるものを片っ端から読んでました。

中学生で山本周五郎の「さぶ」に出会って本の世界に入り込み登場人物の心の葛藤・苦しみ・悲しみ・喜びを自分の感情体験として味わうという本を読む醍醐味を知りました。

今でも中学生高校生時代に古本屋でこつこつ買い集めた山本周五郎の単行本が本棚の一番上に置いてあります。

その他、好きな作家 池波正太郎、ウィリアム・サローヤン、ロバート・B・パーカー他沢山

音楽は1980年代の音楽番組ベストヒットUSAが思春期ど真ん中の世代でとても影響を受けました。司会者の小林克也さんが海外アーティストに流暢な英語でインタビューされているのがとても格好良く憧れたのを思い出します。

自分のお金で初めて買ったCDアルバムはエルビス・コステロの「Spike」です。このなかの「Veronica」のフレーズは今でも時おり頭の中をよぎります。

この後なぜかオーティス・レディングにはまりブラックミュージックの道へ入っていきます。R&B、SOULからBLUESへ。BLUESもハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズ、ジミー・リードから更に古参のサン・ハウス、フレッド・マクダウェル、チャーリー・パットンへ。今ここら辺におります。

40代になってから尾崎紀世彦とちあきなおみの大ファンになりました。三波春夫は大先生と心の中で慕っております。

映画は高校時代の一番の関心事でした。

当時レンタルビデオ店が普及して自宅から自転車で40分の場所にあり毎週自転車で通ったものです。高校生にはレンタル料金は高かったですが当時でもまとめて5本借りると1,000円でレンタル期間が7泊8日になるサービスがあり毎回利用していました。

この当時で記憶に残るのが「カッコーの巣の上で」、「地獄の黙示録」、「グレートブルー」、「アンタッチャブル」、「ラストエンペラー」など

今までで一番好きな映画は?と聞かれたらジャック・ニコルソン主演「カッコーの巣の上で」、デビット・リンチ監督「ストレイトストーリー」、フランシス・フォード・コッポラ監督「アウトサイダー」と答えます。

【⑥奉仕活動】

地域の氏神である吹上神社の境内清掃を、毎週1回のペースで奉仕させていただいております。